鯛の歴史 part2

農耕に適さない宇和海沿岸では、漁業中心の生活が営まれていました。14世紀の勅撰和歌集『玉葉和歌集』には宇和海の魚を詠んだ「伊予の国宇和の郡(こおり)の魚(うお)までもわれこそはなれ世をそくうとて」があり、この地域の漁業が京の都で知られていたことがわかります。

室町時代まで魚料理の主役は鯉でしたが、それ以降になると慶祝料理には鯛がよく用いられ、姿の美しさと味が愛されるようになります。この変化は、武士社会の台頭と大きく関係があります。ヒレにトゲが並び、固いウロコに覆われた鯛の姿を武士の鎧兜になぞらえたため、鯛は次第に「魚の王」となっていきます。

祝いの場に鯛が登場するようになり、需要が伸びていくと、各地で鯛網が行われるようになりました。

出典:えひめ愛フード推進機構ホームページ(http://www.aifood.jp/tai/rekisi.html)