鯛の歴史 part5

現代ー捕まえる漁業から育てる漁業へ

手漕船から機船へと漁船も変わり、深い海に住む鯛は底引き網で漁獲されるようになりました。しかし、この漁法は海棚に棲む魚の資源枯渇につながるため、規制されることとなりました。海洋資源の逼迫に伴い、魚を捕まえる漁業から「育てる漁業」へと変化してきます。

「鯛」の養殖が本格化したのは、昭和40年(1965)のこと。愛媛県では、昭和37年(1962)に明浜町や城辺町、津島町などでハマチとの混養が行われましたが、稚魚からの育成ではありませんでした。

養殖が本格化するのは、鯛のエサとなるワムシというプランクトンを与えて海産稚魚育成に成功した瀬戸内海栽培漁業協会の伯方島営業所でした。昭和40年に日本初の種苗生産に成功し、真鯛養殖が全国に広がりました。瀬戸内海栽培漁業協会は研究を進め、昭和43年(1968)に稚魚16万尾の生産に成功しています。平成2年(1990)から生産第一位となっています。

現在の鯛養殖は、配合飼料のペレット化や養殖場の環境向上を推進した結果、天然鯛と遜色のないものが生産できるようになりました。安全な環境で育てられる愛媛の「鯛」は、脂ののり具合が天然物よりも刺身に向くという調理師もいるほど、味も育成環境もすぐれたものになっています。

出典:えひめ愛フード推進機構ホームページ(http://www.aifood.jp/tai/rekisi.html)